どうも、あおりんご(@aoringo2016)です。
今まで昭和金融恐慌の一連の流れについてお伝えしてきました。
今回はこれらの最終章です。
昭和金融恐慌のその後と、最後の統括をしていきたいと思います。
【連載】
もくじ
(1927年年以降)昭和金融恐慌のその後
1927年に起こった昭和金融恐慌は国民の信用不安による銀行への取付さわぎにより信用パニックになっていきました。
次の表1. をご覧ください。
こちらは参考にしている昭和金融恐慌史(初版: 1993年 著:高橋亀吉、森垣淑)からのデータです。
表1. からも確認できるように、昭和金融恐慌がおこった1927年3月から4月にかけて、銀行への預金が大きく低下していることがわかります。
その後の政府と日銀の対処であったモラトリアムによって、5月以降の預金は回復していきました。
一方で、銀行からの貸出金は昭和金融恐慌以降も低下している ことが伺えます。
また、銀行の預金に対する貸出金の比率をあらわす預貸率はぐんと下げていきました。
つまり、借り手が少なくなってしまうと、銀行は人々へお金を貸し出すことを促すために金利を下げなければいけません。
その結果、2020年の現代と同様に昭和金融恐慌後は低金利時代だったようです。
貸出金で稼げない銀行はどうしたのかというと、有価証券に資金を振っていきました。
貸出金で稼げない銀行は収益を生み出すために有価証券に投資しないといけないことも現代と同様です。
それでも稼ぐことのできない銀行(現在でいう地銀)は整理され、それにともなって大銀行の地位は向上し、資金が大都市圏に集中していきました。
これは現在地銀が儲けれていないので、都市銀行に移っている流れと同じですね。
昭和金融恐慌後の貸出金低下の主な2つの原因
① 巨額の低金利長期貸出(特融)していたこと
政府と日銀は、昭和金融恐慌の救済措置として、巨額の低金利長期貸出金でカンフル剤を打っていました。
つまり日本銀行から市場に資金が放出されている状態です。
<関連>【2020年決定版】日本銀行の役割とは?わかりやすく図解
その結果、世の中にはお金がジャブジャブの状態だったそうです。
② 資金需要の低下していたこと
また、金融恐慌前から続く日本経済の不振が挙げられます。
第一次世界大戦中から景気を支えてきた投資が、その生産力効果を発揮しておらず活用もされていなかったようです。
さらに投資してきた資産価値の低下も起こっていました。
活用されていなければ、投資資金を増やす必要もなく、資金需要が生まれることもありません。
昭和金融恐慌の統括
5回にわたって、昭和金融恐慌にフォーカスしてきました。
調べるキッカケは「経済にはサイクルがある」と考えたからです。
つまり人間の考えることなので同じことを繰り返すよね、という点に基づいています。
そんな中、今回は昭和金融恐慌について調べてきましたが、経済には浮き沈みがあり、行き過ぎたその先にはやはりバブルが崩壊するという過程につながることが見えてきました。
さらに、第一次世界大戦後の好景気のようなときには人々はとても緩やかな気持ちになりますが、ジェットコースターのように一気に転げ落ち、不景気のトンネルに入ってからは先が見えない状況が続きます。
また陽気な状態が続いているころには人々は間違ったことをしていることに気づいていませんが、一気に波が去ったあとに見えてくるのは隠されいた悪いガンが次々と見えてきました。
これは1900年代前半のできごとですが、100年後の現代の日本でも同じようなことが起こっています。
個人的に、今回の昭和金融恐慌前後は現代の日本と同じような状況になりつつあるのではないか、と考えています。
現在の日本は経済がデフレであり、お金の需要がありません。
一方で2012年から始まった黒田バズーカによる金融緩和政策やコロナショックにより打ち出された経済対策によってマネタリーベースが増加し、市場に資金がたくさんある状態です。
つまり昭和金融恐慌で起こっていた
- 日本経済の不振
- 日銀の金融緩和
- 資金需要の低下
- 資産価値の低評価
- 都銀への高信用と地銀への低信用
などは現代でもかなり類似点は多いように感じます。
これらの結果、「歴史は繰り返す」ことを踏まえると、現在の日本はまだまだ低迷が続きそうです。
まとめ
さて、今回は最後となる昭和金融恐慌の統括をお伝えしてきました。
昭和初期の日本と令和初期の日本の類似点は多いように見えてきましたので、これから調べていこうと思います。
【連載】
あおりんご