シンガポール国立博物館前

【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(4)〜リー・クアンユーという男〜

更新日:2019/5/2

どうも、あおりんごです。

 

前回は、

【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(2)では、シンガポールが金融センターとテクノロジーの街についてをご紹介しました。

【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(3)では、アジアNo,1のシンガポール国立大学についてをご紹介しました。

 

そしてぼくがこの国を旅行したいと思った理由はこんな感じでした。

 

  1. アジアトップクラスの金融センター街に訪れたかったから
  2. シンガポール国立大学に行きたかったから
  3. リー・クアンユーの作った国を見たかったから
  4. 日本が占領していた国を知りたかったから

 

さて、今回はリー・クアンユー編をご紹介しましょう!


あおりんごのシンガポール旅行(4)

リー・クアンユーについては国立博物館で知ることができました。

図1 シンガポール国立博物館前

国立博物館の写真を撮ろうと思ったら、中国人系の人が「撮ってあげるよ!」と言ってもらえましたので、撮ってもらいました。

 

その人達が

 

「もっとカッコつけろよ!!!」

 

と叫ぶので、精一杯かっこつけたらぎこちなくて、めちゃくちゃダサくなりました笑

 

慣れないことはしないほうがいいですね笑

リー・クアンユーという男(1)

さて、リー・クアンユーはシンガポールの初代首相で、約30年間にわたって今のシンガポールを創ってきました。

 

そもそもこの国はどうやって誕生したのでしょうか?

 

 

シンガポールはマレーシアの一部であり、英国が海洋国家の中継貿易港として利用していた 人工国家 、つまり植民地でした。

 

それからマレーシアからの独立を果たし、首相になったのが リー・クアンユー でした。

図2. リー・クアンユー

彼は独立して直後の国家を世界に認めさせるために、以下のことを主に計画しました。

 

  1. 金融センター街に育てる
  2. 世界的に活躍できる人材を育てる

 

①金融センター街に育てる

お金というのは1960年代当時、

 

チューリッヒ→フランクフルト→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→チューリッヒ

 

というルートを通って世界に流れていました。

 

しかしながら、サンフランシスコの次がチューリッヒとなっているため、次の夜が明けるまで金融市場は眠ったままとなってしまいます。

 

そこで、シンガポールをアジアの金融市場にすることでお金のルートを

 

チューリッヒ→フランクフルト→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコ→ シンガポール →チューリッヒ

 

とし、世界的に24時間体制の金融市場を持ちたかった背景がありました。

 

 

彼はリスクを犯してでもトライしてみる価値があるとし、ゴーサインを出しました。

 

それから外資を呼び込むための施策を打ち出し、幾多の金融危機を乗り越え、不正を排除していきました。

 

結果的に、今では【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(2)でご紹介したような、世界的に信用のある金融センター街を作り上げました。

②世界的に活躍できる人材を育てる

ここは小さい国であるため、天然資源に恵まれていない事実もご紹介しました。

 

つまり、今ある強みを生かして世界に認知させなければいけませんでした。

 

シンガポールの強みとは、人材が最も貴重な資産 であることが彼の中で明白でした。

 

一方で、シンガポール人は英語も話せ、国外で暮らすことのハードルは低かったため、当時の優秀な人材が国外流出している現状もありました。

 

これではこの小国の経済成長が見込めないことが想定されました。

 

そこでリー・クアンユーは人材育成テコ入れとして、世界の優秀なアジア人学生にシンガポールでの仕事のよさをアピールし、この国へ来てもらう国策を計画しました。

 

その結果、海外からの人材流入は流出の3倍まで進んだとのことです。

 

海外の人材のおかげでさらにシンガポール人によい影響をもたらし、人材育成が活性化されました。

 

現在では【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(3)でもご紹介したように、アジアNo,1のシンガポール国立大学が誕生しています。

リー・クアンユーという男(2)

このようにリー・クアンユーはシンガポールを創り、世界にひとつの国家として認めさせ、1990年に首相の座から降りました。

図3. ザシンガポールストーリー

このような偉大な方ですが、彼には若い頃に強烈な恐怖を味わっています。

 

それは、我が国、日本が第二次世界大戦中に占領していたときに、残虐な仕打ちを繰り返していた日本兵を目の当たりにして経験したものでした。

 

彼は日本占領下で、日本軍放送部で働かせれていたため天皇への礼拝もしていたようです。

 

次回の【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(5)でも書きたいのですが、その経験は強烈なものだったそうです。

 

 

一生、心に日本への憎しみと恨みが刻まれて歩んだ人生で、そのあとシンガポールを発展させ偉大な首相なったそんな彼が、日本国民にとって “神” であった昭和天皇と、1986年に合われていることに驚きました。

図4. 昭和天皇とリー・クアンユー

昭和天皇と会ったときの、このときの首相の本当の気持ちはどんな心境だったのでしょうか、聞いてみたいものです。

 

リー・クアンユーは昭和天皇の葬儀にも参列していたそうですが、全く想像していなかったようです。

 

もちろん外交の一貫であったにせよ、彼の懐の深さということばでは足りないような寛容な心を持っておられたことに非常に感心しました。

 

あおりんご


(4)のまとめ

今回はちょっと文章の多いブログ記事となりました。

 

リー・クアンユーが創ったシンガポールは

 

  1. 金融センター街に育てる
  2. 世界的に活躍できる人材を育てる

 

を実行することによって、世界に台頭してきたことがわかりました。

 

また日本が彼に強烈な存在だったんですね。

 

シンガポールに旅行したつもりが、最後は日本のことを海外から知ることとなりました。

 

次回は最後(【そういう切り口!?】ちょっと違ったシンガポール旅行(5)、日本が占領していた国)を書いていきたいと思います。


参考文献

  • リー・クアンユー(2002)『リークアンユー回顧録(上)』日本経済新聞社.
  • リー・クアンユー(2002)『リークアンユー回顧録(下)』日本経済新聞社.
投稿を作成しました 92

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連する投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る